Yasukun-papa は「おひとりさま」

やすくんパパ の思いをつづる、Liveなブログ。。

沈黙する傍観者 『見て見ぬふり』への恐怖感 ~自分の考え方を振り返る

 

仕事帰りに、中年の男性二人と、同じ電車に乗り合わせた。

 

駅で何かがあったのだろう。

低い声で何か言い争いをしながら、

互いに腕と胸元を掴みながら開いたドアから入ってきた。

 

樹脂製サンダルをはいた男性と、茶色いベルトのジーンズの男性

 

臙脂(えんじ)色の長椅子の通勤電車には、肩が触れあうほどの人が乗っていた。

 

私の隣の女性は、つり革を片手に小説を読んでいる。

裏表紙の青いラベルには、見覚えのある図書館の名前が書いてある。

 

茶色いベルトの男性は、サンダルの男性の腕をつかんでいた。

その時、サンダルの男は、相手のベルトを掴んで持ち上げ、足をかけた

 

茶色いベルトの男は、なんとか持ちこたえた。そして、

「さっきから何やってるんですか、いい加減やめてくださいよ」と突然声を張り上げた。そして周りを見回した

 

小説を読んでいた女性は、ただならぬ雰囲気に気づくと、

「えっ、えっ・・・もういやだぁ。。。なんでなの?」と独りごとのように呟き、

「もぅ・・」と言いながら、一歩だけ隣へよけた。

そして、周りの乗客の顔をチラチラと窺っていた。顔を上げる人はいなかった。

女性は、カバンからイヤホンを取り出して、おもむろに両耳に付け、

再び、読んでいた本に目を落とした。

 

他の乗客たちも、少し離れて、無関心を装っていた。

 

声をかける人は、誰一人いなかった。

何か行動を起こそうとする人は、誰もいなかった。

 

二人の周りには、「見えない壁」が作り上げられたように感じた。

見えない壁の向こうで、まだ二人は争っている。

 

そして、車内には落ち着きが戻ってきた。

 

「見えない壁」を作り上げたのは、「無関心な傍観者」である周囲の乗客達だ。。。

 

気付いているにもかかわらず、

手の届く、目前で起こっているにも関わらず、

「不都合な現実」から目を背けたい人たちが、ここにもたくさんいた。。。。

 

=====

 

目の前で繰り広げられる光景に、

私は、過去に経験した「何か」と重なるものを感じました。

 

『強く意識しない限り、人は「無関心な傍観者」になることを望むことになる・・・

 

それは、高校生の私が感じた

「世の中に対する やるせない気持ち」と重なるものでした。。
 

=====

 

高校生の時、調書を取られたことがあります。。

気弱な私が何かやらかした、というわけではありません。

 

帰り道でカツアゲにあい、財布を取られて、殴られた。。

ただ、それだけ。。どこにでもある、良くある話です。

 

学校の勧めで、私は交番に行きました。

 

警察官と向かい合って座り、状況を話しました。

  • 学校の最寄駅からは、自転車で通学していること。自転車は駅前の駐輪場に置いていること。

  • 駐輪場の入口で、ボンタンをはいた5人組に、乗っていた自転車ごと押し倒されたこと。

  • 5人組は転んだ私を取り囲み、手を足で踏みにじりながら「大丈夫か?金持っとる?」と聞いてきたこと。
  • 「ない」と答えると、「喉になんかついとるよ」と言いながら、喉仏を掴んできたこと。
  • そして「調子乗んなよ、喉仏潰したろか」「もう声出んようになるで」と言われて、カバンやポケットを探られたこと。
  • 手足を押さえつけられ、首を掴まれ、わき腹を殴られ、動くこともできなかったこと。
  • 財布を見つけた後で、「誰かに言ったらどうなるか知っとるか?」と言われ、また殴られ、蹴られたこと。そして、身に危険を感じたこと。
  • 目の前を何人も通ったけれど、誰一人助けてくれなかったこと。
  • 自転車の止め方をいつも注意してくる、口うるさいおばさんも、一度振り向いたけれど、向こうに行ってしまったこと。

 

話しながら、縦書きの用紙に、手書きで文字が埋められていきました。

 

「ひとまず書いてみるね。違うところがあれば後で言ってもらえばよいから。。」

 

警察官の言葉を信じ、

書かれている内容に違和感を感じながらも、

恣意的に言葉の切り貼りをする人だなと思いながら、

出来上がっていく調書を冷ややかに見ていました。

 

手書きの調書の中には、このようなことが書かれていました。

「僕は怖かったので、何も言わずに高校生に財布を渡しました。」

ものかげに連れていかれたので周りの人には気付いてもらえないと思い、助けは求めませんでした。」

早く終わってほしかったので怒らせないよう、周りの人に助けを求めるのは、やめることにしました。」

 

「似た言葉」は使ったかもしれないけれど、まるで意味が違う

なぜ、この警察官は、

話した内容とは異なる原因結果を、平気で繋げようとするのか。。。

 

最後に、署名と拇印を求められたとき、気になる点について聞いてみました。

交番の警察官は、イヤな顔をしながらいいました。

  • 「じゃあ、少しも怖くなかったんだ。」
  • 「だとしたら、さっきの話、嘘ついてたの?」
  • 「そうやって嘘をつくことも罪になるよ。知ってる?」
  • 「そういうことなら、これから警察署に来てもらってから、もう一度話を聞いてもいいよ。」
  • 「帰るの遅くなるだろうから、ご両親にも来てもらわなきゃいけなくなると思うけどね。」
  • 「今回のカツアゲのこと、心配するから親には言いたくないって言ってなかったっけ?」

結局こういうことになるんだ、、と、もう何も言う気になりませんでした。

あきらめて、言う通りに署名をしました。なぜか、印鑑はだめだと言われました。

 

最後に、警察官は続けました。

 「駅前には、いつもタクシーが止まっているし、人も通るし、普通はカツアゲにあっていたら誰かが気付いて、助けてくれると思うけどね。変だね。」

 「でも、怖くて助けを求められないんじゃ、どうしようもないね。周りの人は友達だと思ったんだろうね。」

 

 

高校生だった当時の私は、

カツアゲをしてきた5人組よりも、

調書を書いた警察官カツアゲに会っていても助けようとしない人たち に対して、

とても「やるせない気持ち」を抱いたことを覚えています。

  •  警察官は、物事を矮小化するような調書ですら、平気で書くこと。
  • そして、場合によっては、その逆も当然起こりうるだろうこと(公権力の危険性)。

  • 相手が弱いと思えば、強く出る人(攻撃してでも言いくるめようとする大人たち)は、世の中に出てからも、たくさんいるだろうこと。
  • 強者と弱者は、当事者間で相対的関係性により決められること(下っ端同士でも強者・弱者の関係は生まれる。相手に強者と意識させれば、相手は強者の役割を果たすことになる)。
  • 相手より優位に立つための小手先のテクニック(論点ずらし、相手への威圧・攻撃、揚げ足をとること等)を、弱者にも平気で使うことへの不快感。

  • 本当に助けてほしい時に、人は都合良く助けてくれないこと。見て見ぬふりをすることもあること
  • 自分に起こったことは、自分で何とかするしかないこと。助けを求めても、自分にとって良い結果を与えてくれるわけではないこと(世の中には色々な人がいる、利害もある)。

 

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そして、

乗り合わせた電車内での、二人の男性の喧嘩

 

私には、二人のうちのどちらが悪いのかなんてわかりません。

ただ、この喧嘩はこのままエスカレートしてほしくないと感じました。

 

そして、パっとしない男性同士の喧嘩には、

誰も助けになんて入らない/入ろうとも思わないこと(※)を、知っていました

 

あの、小学生のいじめの時も、傍観者だらけでした。

 

※)きっと、これが中年男性と、若い女性の喧嘩であれば、誰かが手を差し伸べるのでしょう。感覚的にはわかるものの、この背景に何があるのか、私にはまだ説明できません。

・・・上の状況に対する思いつきの仮説です⇒ 〔仮説①〕若い女性は社会的な保護対象と考えられるため、人は助けたくなる(男性の本能?下心?マスコミでも報道されやすい傾向あり。根底には女性に対する旧来の考え方が残っている?)、〔仮説②〕目の前の「イヤな思いをしている女性」に気付いた場合、気付いた女性が気持ちに共鳴(共感)し、同性(より共感できた相手)に対して手を差し伸べたくなる(共感できた相手を守りたくなる)、〔仮説③〕フェミニズム的な考え方(ここは割愛)。

 

 

更に、この二人の様子に、少し嫌なものを感じました。

  •  二人の男性間の対照性:(『汚れた樹脂製サンダルをはいた、爪の汚い男性』と『茶色いベルトのジーンズの男性(相対的に普通に見える男性)』)
  • 周囲の目を気にしたような発言:ジーンズの男性が「さっきから何やってるんですか、いい加減やめてくださいよ」と突然声を張り上げたこと。そして周りを見回したこと。困っているような言動を続けたこと。

 

私には、どちらが悪いのかなんてわからない、

ただ、何かが起こったら、サンダルの男性が困るのような気がする。。

そして、肉体的接触だけは、気を付けなければいけない。。と。

・・・「根拠のない直感」が働きました。

 

私は、悩むことはやめて(思い立ったら即行動;独身時代の習慣)

乗降の人の流れに任せて、彼らの間に割り込み、

ジーンズの男性を電車の奥に押し込みました。

 

私のほかにも、他の乗客がなだれ込んできました。

 

しばらく二人は腕をつかみ合い、なにか声を上げていたものの、

電車が動き出すと手元の電話を見始めました。

 

よかったよかった。事件にはならなさそうだ。。

そして、私が何をしたか、彼らには気付かれていない。これもよかった。

 

 

今回の「根拠のない直感」が正しかったのかどうかは、全くわかりません

 

ただ、

  • 明らかに悪いことにはならなかった。
  • 自分の正直な気持ちに、制限をかけなかった。

この2点については、「悪くはなかった」のだと思います。

 

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結婚後の自分は、

私自身や家族が作り上げた「〇〇としての責務」につぶされそうになりながらも、

「危ないかもしれないもの」には関わらないように気を付けていました。そして、関わることも許されませんでした。

 

今回、妻が子供を連れて、突然家を出て行ったことがきっかけとなり、

これまで色々なことを考えてきました。

「家庭内を、様々な規則で縛り上げない」

「自分自身の気持ちを、正直に見つめることができること」

 ・・・等々

 

そして、今回のことに関して、

何よりも気を付けておかなければならないこと。。

  • 成功体験は「自分は、周りのことをコントロールできる」と勘違いすることにつながりかねない。

この点については、誤解しないように強く意識しておきたいと思っています。

 

そして、

<自分を変えるための8つのステップ>の中では、

【第3段階】「現在の自分の考えに至った背景を知ること」を挙げました。

 

最近は、仕事をしていても、昔の光景があふれるように込み上げてきます。

小・中・高校、大学の私は、いつも何かに悩んでいました。

そして、悩みを解消するために、

周りを観察し、本を読んで、人と話して、また悩む。いつもそんな繰り返しでした。

 大した悩みでもなかったように感じますが、当時はまじめに悩んでいました。

 

現在の状況も、、

  • 自分の中だけでは完結しない「家族」(考え方の異なる他人と共同体を作る、次の世代を作りあげる)という問題が含まれているから難しいのか、
  • それとも、そこまで肩ひじ張らなくてもいいのに、自分の考え方の中で、がんばりすぎて空回りしているだけなのか(実は別のところに簡単な道がある)

まだよくわかりません。

 

ただ、これまでの自分の経験(数十年だけですが)からは、

  • 第一印象で「気分が悪い/腹立たしい」と感じたものが、実は正しかったことがある。(痛いところを突いてくる考え方から、目を逸らしたかっただけ)
  • 考えた末、一旦「間違っている」と判断したものであっても、見方を変えてみると、やっぱり正しいと実感できることもある(思考のゴミ箱漁りも有効。時間がたてば見方も変わる)
  • 過去に悩んだことをもう一度悩みなおしてみると、新しい結論が生まれることがある(考え方のアップデート。これは最近実感し直しました。)

ことは、何度もあります。

  

そして、家族問題については、1点目の中に答えがあるような気はしています。

何となく気づいているものの、自分が極端にふれてしまわないか心配です。

そして、今までと違う世界に入り込む怖さも感じています。

そもそも、「新しい世界に入り込まなければならないのか?」という疑問もないわけではありません。

 

ただ、新しい世界に入って、ダメだったら修正して、

それでもダメだったら、戻ってこればいいだけなので、

大して躊躇する理由にはならないのかもしれませんね。。

 

やってダメでも「何とかなるさ」という楽観的な気持ちと、

Festina Lente の精神で、着実に歩いてこうと思います。

 

 

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☆家族から全く連絡がないのは、ちょっと気になります。

☆「一人の大人が決めたことなのだから、家族であろうとあんたは関係ない」と言ってしまえば、それまでなのですけどね(この考えで行くのなら、早く民法を改正すればいいのに、とも思ってしまいます。。)

 

 

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青臭いといわれても、ブルーハーツは元気の素です。

「TRAIN-TRAIN」聴いていると、今でも涙が出そうになります。。。昔から自分は強くなかった。。

 

 

今日もありがとうございました。

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