ここ数日間は、家庭内の暴力に関する書籍を読んで、
家庭環境は、子の人格形成において非常に重要な役割を果たすことについて、
整理してきました。
今日は少し休憩して、
「自分自身に関することで、最近感じたことや、見えてきたこと」について、
書いてみようと思います。
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ブログ冒頭の「いつもの記載」と向かい合う
『これまでの私たちは、お互いの「考え方の違い」が原因となり、
「夫婦間の衝突」が日常的な光景となっていました。』
これまでは、公言することを躊躇する気持ちがあり、
「お互いの考え方の違い」「夫婦間の衝突」という言葉で濁していました。
つまるところ、次のような状況でした。
「お互いの考え方の違い」:
最近は専ら「子供に対する親の関わり方」が話題の中心。
話題の背景には「テキトウな子育てに対する恐怖感」が存在していました。
「夫婦間の衝突」:
声を張っての「主張合戦」。時に暴力を伴う衝突(DV)。
お互い自分の考えを主張し続けるばかりで、
相手に伝える・理解するという、当然のことに気付く余裕すら残されていませんでした。
いま振り返ると、
「テキトウな子育てに対する恐怖感」・・・
これが冷静さを欠いた衝突に至る最も大きな原因になっていたように思います。
「恐怖感」のきっかけ。。
これは、私が 20代前半に接したある事故にさかのぼります。
その時の動揺が戻ってくるかもしれないとの恐怖もあり、
できるだけ思い出さないように、自分の心にフタをしていました。
具体的になり過ぎないように、感情を移入し過ぎないように、
できる限り淡々とお話ししてみようと思います。
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「テキトウな子育てに対する恐怖感」を持つことになった原因について
① 友人Aさんご兄弟の自死に接したこと
- 学生時代に、友人Aさんのご兄弟(Bさん)が自死。
- Bさんは心理的な悩みを抱えており、長期間自宅に引きこもり。
- Aさん曰く「自尊心が低く、自分の能力以下の学校しか選択しないような性格」。
- Bさんの引きこもりについて、ご両親は「本当に困っている」と外部に公言。
- Aさんも「『あの子は本当に困った子だ』と母親がいつも言っている」ともらす。
- Bさんの突然の事故は、Aさんだけでなく、周囲の友人達にもショックを与えた。自分も、身近な友人のご兄弟の自死という状況に初めて接し、大きな動揺を感じた。
② 以降の自分の状態と行動
- Aさんやご家族と接したり、彼らの気持ちを想像すると、動揺が抑えられなくなり、ほとんど眠れなくなった。
- 更に、自分の家族が同じ状況になった場合を想像すると、冷静さを欠き、恐怖心から逃れられなくなった。
- 自殺された方や、残されたご家族の気持ち、事件が起こることとなった原因を知ることができれば、動揺は抑えられ、恐怖からは逃れられるかもしれないと考えた(←「嫌なことからは目を逸らすな」という親からの教えが原因か)
- 大学にも行かずに、自殺遺族の手記、精神疾患患者の手記、社会的な事件に関するノンフィクションを日夜読み漁った。毎日のようにアマゾンで書籍を購入。。
- その中で、「引きこもり」を生む家庭環境、事件が発生する過程には「共通する問題点」(周囲からの無関心、思い込み、親の関わり方に関する問題等々)が存在することを自覚。
- Aさんのご両親とお会いした際に「共通する問題点」が背景にあるように感じた。以降も、何度かAさんやご両親を交えてお話しする機会があったが、次第に「家庭環境の問題」があると確信するようになった。(※ この印象が本当に正しいのかは分かりません!)
- 同時期に、研究で事故に巻き込まれ、死ぬかもしれない状況を経験したこともあり、無事目覚めたとき「できる限り正しい人生」、「死ぬときに後悔しない人生」を送ろうと心に決めた。
<前向きに生きるために決めたこと>
- 自分が親になった場合、同じようなことが家族に起こらないように「テキトウな子育て」(子供より自分の気持ちを優先、めんどくさいから手を抜く、子供への無関心、問題が存在しても直視せず楽観的に捕らえようとする等)は行わない。
- 周囲に「自分より困っている人」が居たら、見てみぬふりはせずに手を貸す(自分をつぶしてまで助けることはしません。誰かに助けを求めにいきます。。)。
- 自分が良いと思って決めたことが行えるように、継続して「正しい判断」ができるための知識や考え方、外部からの情報を謙虚に入手し続ける。できない理由作り(◎◎がないからできない、◎◎があればできるのに)はしない。
- 打算的でずるい人には近寄らない。相手より先に気付き、回避する。特に、人の判断はその人の社会的立場(福祉的な立場、保守的な地位等)によって特定の傾向があります。決して、一部のグループから発せられる考え方だけを受け入れるようなことはしない(救いを求めない)ようにする(洗脳環境からの忌避)。
- 自分の身の周りで起こったことについて、周りに原因を求めない。身の回りに起こること、これまで自分の行いや、考え方が原因となっているのではないかと、一旦考えてみる。(まずは、自分の原因を考える。ただし、常に自分が悪いわけでもないことは覚えておく)
※後日追記(7/15)※
恐怖感に裏づけされる行動は、
恐怖が大きくなると、恐怖を埋め合わせるための更なる行動にエスカレートする可能性をはらんでいます。
一方で、
「テキトウ」に生きよう!という考え方は、
他人より自己、苦より楽を選びがちになり、
欲に任せた行動をとる、見てみぬ振りをする、先入観で物事を見る、めんどくさいことには関わらないようになる。。。等の行動がとられる可能性があります。
そして、子育ての中でエスカレートすると、子供に対する放任・無関心(極端な個の尊重)に至る恐れがあります。
結局は「ホドホド」なのだと思いますが、このあたりの塩梅、
それぞれの個人ごとに考え方、程度に対する考え方が異なることから、調整は非常に困難であるように感じています。
ただ、今の自分には、
このあたりをどのように上手く折り合いをつけていけばよいのか、答えがありません。(男は受け入れてあげて。。。といわれても、相手から過度な要求をされたり、こちらの考えを毎日のように否定され続けると、つぶれそうになります。)
気にしない、こだわらない、、といわれても、「恐怖感」が裏打ちしているので「どうでもいいや」と言い切ることもまだできません。
この辺りの葛藤については、
外部の専門家のアドバイスも受けつつ、
静かな環境で引き続き考えて行こうと思います。
やす君パパ
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