Yasukun-papa は「おひとりさま」

やすくんパパ の思いをつづる、Liveなブログ。。

家庭内における共依存について~ 「共依存」→「対等な親密性」への転換(その3)

 

トラウマを抱えることとなった人は、

多くの場合「自己評価」や「自尊心」が低く

無意識のうちに共依存」の関係構築(※)を求め、

「自分が相手から求められる状況」を作り上げようとすることを知りました。

 (※)相手の支えになることへの渇望感、相手を支配することの充足感

 

そして、共依存関係の中で、

  • 「男性」は「支配する役割」(相手から尽くされる/相手を攻撃する役割)
  • 「女性」は「支配される役割」(相手に尽くす/相手からの攻撃を受ける役割)

 を担うことで、互いの補完関係が生まれることになります。

 

さらに、

共依存」により補完し合う不安定な人間関係の中には、常に緊張が伴い、

この緊張のバランスが崩れるとき、必然的に「男性から女性に対する暴力」という形で発散される

ことになります。

 

 

一昨日に引き続き、

共依存」に伴う家庭内の暴力と「子供が受ける影響」について整理してみようと思います。

表題の『「対等な親密性」への転換』については、もう少し時間がかかりそうです。。

(カウンセリング等を利用して、これまでの自分の生い立ちを振り返り・・・ということに尽きる気もしますが、一般論ではない「自分自身、そして私たち家族のための具体的な道筋」はまだ見えていません。)

 

============

 「家庭内の暴力」の特徴と、子供の心理に与える影響について

  • 「家庭内の暴力」(権力者による権力の濫用)には、「秘密の中に閉じ込められ、家庭の外には出ない」(問題が内部に溜め込まれる)という特徴がある。

  • 「家庭内の暴力」が継続すると、家族は「加害者」「被害者」「その他」の3種種類に分断され、健康な家族でみられる「親密な相互関係」の維持が困難となる。
  • これは、子供たちが「自己の一体性」を獲得する場である「安全な場所としての家庭」が破壊されることを意味する。
  • 子供たちが「家庭内の暴力」の目撃者となるとき、心理的に破綻しないために、次のような防御方法に頼ることになる。

   ①「否認」(無意識的に目撃しなかったことにする)

   ②「回避」(目の前の問題に巻き込まれないために、無関心を装う)

   ③「投射」(自分の中の悪い感情は、自分以外から生まれたるように感じる)

   ④「分割」(一人の親の中に「善の親」と「悪の親」が併存すると認識する)

  •  ④の「分割」の結果、子供は「悪の親」のことを「否認」又は「親以外の他人に転化」する。
  • 一方、「善の親」(※)については受け入れ、たとえ親から否定されるようなことがあっても、「善の親」の行動は正しいものとして盲目的に受け入れる。これは、子供自信が「家庭の安全」を維持しようとするための無意識の行動として説明される。(※)「暴力を振るっていない状態」と解釈することにします。
  • 結果として、子供の「自己肯定感の損傷」や「自己評価の低下」につながり、以降の精神発達にける重大な問題を引き起こすことになる。
  • 多くの場合、男の子は暴力男に同一化し、女の子は依存する母親と同一化して、共依存的な人間関係を求めるようになる。

 

============

これまでと似た内容になってしまいました。

夫婦関係、家族問題(社会問題として顕在化する問題)の根源がここにあるからなのかもしれません。(又は、参考にした書籍の筆者の専門分野だから・・というオチもありますが。)

 

ただ、

『家庭内の暴力は「秘密の中に閉じ込められ、家庭の外には出ない」(問題が内部に溜め込まれる)』

今回、この点には大変考えさせられました。

 

今までの我が家は、家庭内の風通しが悪く、

家庭内の問題が外部に知られることは、できる限り避けたい、、、

という心情がありました。

 

世間一般で言われる「幸せな家族像」を作り上げられないことに対する恥ずかしさや

どんなに苦しくても「お父さんは奥さんや家族守ってあげるもの」という周囲の期待に応えきれなくなっている自分に対し、負い目のようなものがあったのかもしれません。

 

その結果、

自分たちだけの閉じた空間で悩み、ぶつかり、暴走する、、、

という状況が生まれました。


今考えると、「問題が起こりそうなとき」「小さな問題が起こってしまったとき」こそ、オープンにすること、、

  • 物理的に部屋の窓を開ける(自分たちの話していることを外部にオープンにする)
  • 人目のあるところで話し合いをする(カフェなどの場所に変えてみる)
  • 信頼できる誰かに相談に行く(二人で不満を訴えにいく、というだけでも重要な一歩だと思います。定期的なカウンセリングとか。)

ということができればよかったように思います。

 

自分が仕事をしているときのことを思い起こせば、

「相手ともめそうなら、ちょっと休憩入れたり、場所や時間を変えてみよう!」

なんてことを当然のように行っていました。

 

家庭のことになると、そんな当たり前のことも忘れてしまう、、、

皆さんはそんなことないんでしょうかね。。。

本当に情けないなぁ。。と感じています。。。

 

==========

ちなみに、今更ですが、

私一人となった我家は、

部屋にいるときはずっとカーテン、窓、玄関を開け放し、風通しを良くしています。

 

お隣さんに家の中のことが全部伝わっても気にしない

人様に言いにくいような行動は起こさないよう、日々行動する、、

 

そんなことに気付いて、行動に移してみると、心が少し軽くなりました。

 

ただ、妻と子供が無事なのかも良く分からないのは、やっぱり心配です。

お母さんは子供のことをしっかり守っていてくれるはず、、

この気持ちが、今の自分の支えです。

 

社会的保護についても色々考えることがあるので、今後何かの機会で話そうと思います。

 

やすくんパパのLiveブログ

 

==

アマゾンから書籍が届きました。。

 今回は、前回(ドメスティック・バイオレンス 新版―男性加害者の暴力克服の試み (岩波ブックレット) )とは違って少し前向きな内容です。

色々と気付かされます。もっと早く読んでおけばよかった。。

DVは なおる ― DVを終わらせるための提案と挑戦 ―

DVは なおる ― DVを終わらせるための提案と挑戦 ―

 

 

※ 「自分の全く接点のない世界」のことは、大きな問題ですら気付けない。。

「問題に気付ける力」くらいは持っていること(持つために知見を広げておくこと)は、生きる上で大切なことだと再認識しました(これまでも意識していましたが、気付けてすらいないこと・・・まだたくさんありそうです。)

 

 ↓ ↓  続きはこちらです ↓ ↓  

yasunao-papa.hatenablog.com