前回は、社会人になって数年後に、
「自分の寂しさを人に満たしてもらうことを求める女性」に対し、
大きな違和感を感じたお話をしました。
その中で、私自身の「闇」の部分・・・
「依存されたり、病的に頼られることで、自分の中の攻撃性が出てきそうになる」と
いうこともお話ししました。
「自分の中の攻撃性」・・・
気付くこととなった「きっかけ」、そして過去の自分が「やったこと」、
決して外に顔を出すことがないように、
今でもしっかりと見張り続けている、私の「闇の性格」です。
といっても、
「いやなものを陰に押し込もうとしていると、
気付かぬうちにコントロールできなくなるのは世の常」
なので(だと思うので・・・)、、、
周囲にもできる限り公開し、一緒に見張ってもらうようにしています。
少し長くなりますが、お付き合いください。
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1.追い込まれた小学生
高校卒業後に下宿をするまで、
私は人口が100万人にも満たないような、小さな地方都市に住んでいました。
ごく普通のサラリーマン家庭でしたが、子育てに一生懸命だった私の両親は、
「少しイイトコのお家」の子が通っている学校に、幼稚園から私を通わせました。
親世代から代々通っている家庭も多く、
幼稚園・小学校はエスカレーター式だったこともあり、
父母だけでなく子供たちも、お互いの家庭のこと(兄弟構成、居所、親の学歴、職業、経済状況等)は良く知っていました。
ただ、ほとんどの人は、生活が豊かだからといって、派手な格好をするでもなく、
お高くとまるでもなく、子供達も普通に仲良くしていました。
そして私も、友達と基地作りをして遊んだり、家に遊びに行ったり、校庭の池で魚を捕まえたりと、結構楽しく過ごしていたように思います。
(今考えると、履いてくる泥まみれの運動靴が白いReebokだったり、Bebeのトレーナーを絵の具まみれにしても気にしなかったり、グランドピアノが家に2台もあるような友人たちに囲まれていたこと、すごい世界だったなと思います。)
ただ、小学校3-4年生のとき、
「少しイイトコのお家」の子に囲まれていることがが裏目に出ました。
3年目のクラス替えで、
仲が良いとは言えないA君、B君、私の3人組は、同じクラスになりました。
A君は・・・
自分の言うことは絶対聞かせたい、そしてみんなに認めてもらいたい目立ちたがり屋さん。
B君は・・・
イヤダといったら絶対に譲らず、頑固で負けず嫌い。すぐに掴みかかってきて、異常なほど頭突きが強い(1つ上のお兄ちゃんがすごく怖い)。
そして、私は・・・
こだわりが強くて、やりたいこと・言いたいことはたくさんあるくせに、
先生の言うことには素直に(気弱に)従ってしまう。
そんな3人組でした。
ウマが合わないにもかかわらず、よく遊んでいたように思います。
もちろん、喧嘩は度々していました。最後はB君の頭突きで幕を閉じるのですが。。
ある日の昼休み、
「いつもの小競り合い」をしている私たちの間に、
調子の良い音楽教師(担任)が止めに入ってきました。
きっかけは、言いつけ好きのHちゃんです。
「いつもの小競り合い」の理由を聞かれ(大した理由はない)、
その後になぜか「三人のお父さんやお母さんは何をしてるの??」ということを聞いてきました。
二人はお医者さん、歯医者さん。うちはサラリーマン。
当時の私は「サラリーマン」というものがどういう人たちなのか知らなかったので、
「父さんは工事してる」と答えてしましました。
小学生の頃は、週末にはよく父親の仕事の手伝い(?)に連れて行かれ、
現場近くの山でタケノコをとったり、作りかけの堤防で魚釣りしたり、
見たこともないような機械を触ったりしていました。。。
ただ、音楽教師に対する「父さんは工事してる」。。。
この返答が、問題の始まりでした。
「危険で、服も体も汚れるような仕事で大変だね、、でも、どんな仕事の人でも、すごいところがあるよ。。」
というようなことを言われたのを覚えています。
更にその日、帰宅前の「帰りの会」で、音楽教師はさらに追い打ちをかけました。
私たちを立たせて、
- 昼休みに3人が喧嘩をしていたこと、いつも喧嘩ばかりしていること。
- 考え方の違う色々な人がいて、3人のお家も、お医者さんだったり、歯医者さんだったり「工事している人」だったりしてるけど、それぞれがんばっていること。
- バイクの教習所で、少し怖そうで、喧嘩をしたら負けちゃいそうな「ニッカポッカ」はいた人がいたけど、スラロームがすごく上手かった。そんな人にも、すごいところはきっとたくさんあること。人は見かけによらないこと。
そんなことを話していたように思います。
クラスのみんなは「工事している人」という言葉がツボにはまったようで、ものすごく笑っていました。
(医者、弁護士、経営者、、、資格や肩書で呼べる職業に聞きなれている子供たちは、「○○している人」といういつもと違う言葉に面白さを感じただけだったのかもしれませんが、、、)
自分の親が、その音楽教師から馬鹿にされたようで、
そして、みんなの前で笑いものにされたようで・・・
帰り道はずっと涙が止まらず、母親には何と伝えたら良いものか分からず、
父親にも申し訳なくて顔も見ることもできないような気がして、
涙を拭いて帰宅したことを覚えています。
ただ私にとって救いだったことに、
次の日、母親がすごい剣幕で、学校に突然乗り込んできてくれたことです。
授業が中断し、午前中はずっと自習になったことを良く覚えています。
今なら「モンペ(モンスターペアレンツ?)」として一蹴されるのかもしれませんが、
あの母親の姿は、当時の私にとって本当に力強く感じました。
午後の授業は何事もなく進み、
家に帰ってみると、母親は何事もなかったように夕食を作っていました。。
「先生とお話して来たかから、また何かあればおしえてね。何度でも行くから。ふざけたやつには、黙ってたらいけないからね。安心して。」の一言だけでした。
(実際は、もっともっとキツイ方言を使っていましたが。。)
以降もクラス内では、「工事している人」「外で働いて汚い人」という言葉がツボにはまったようで、よく笑われました。。
更に、
帰宅前の「帰りの会」では、「今日の悪いこと発表」として、
何人もが私を指名して、
「掃除サボっていた」とか、「ほうき投げた」とか、
「鼻くそ飛ばして汚い」とか(飛ばしてません!)
「ぶつかられて嫌だった」とか、
「給食のお盆にスプーンでキズをつけてた」とか、
「授業中に練り消し作って先生の話聞いてなかった」等々・・・
誰かが口火を切ると、次々に出てきます。。
子供も酷なものです。出始めると止まりません。。
最初のうちは「やってません!」と反論していたものの、
いつまでも続くと、「工事している人」と言って笑った音楽教師の顔と、
あまり好きではなかったけど、夜遅く朝は暗いうちから仕事に行く父親の顔が重なり、
申し訳なくて、怒りがこみあげてきて、下を向いて涙をこらえていました。
あの音楽教師は、いつも笑っていました。
ちょうど忘れたころに、
このような「帰りの会」の出来事が繰り返されることが何度もありました。
このころの私は、クラスメイトと積極的に関わるのが嫌になっていました。
学校は休まず行きましたが、空き時間はいつも本を読んでいました。
本を読んでいると、みんなの話も自然と耳に入ってきます。
そして、
話を聞いていると、クラスの中で起こっていることは把握できるようになりました。
「親の仕事を笑われたこと」「守ってくれる母親の強さ」
「クラス内の人間関係に気付いたこと」
「偉い人にヘラヘラする音楽教師」
これらが重なり合うことで、私の「闇の性格」は作り上げられることになります。
(続きます)
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長くなったので、以降は別投稿で記載します。。
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家に帰ったら、家族がいない??
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