妻と子供二人は、
ある日、突然家を出ていきました。
それから1か月ほど経ちました。
ただ、私には何の連絡もありません。
最初のうちは、
- ひとことも言わずに出て行ったことへの腹立たしさ
- 子供まで連れて行ってしまったことへの自分勝手さ
- 前日の大喧嘩(DV)の反省(反動のハネムーン期か?)
- 世の中から求められる「夫」「父親」としての役割を果たせなかったことへの情けなさ
- 「私はできた妻だ」といって自分の都合を主張し、私の考えは否定され続けていたことへのつらさ。彼女の信じる「普通の父親像」「夫の役割」を押し付けられることへの苦しさ。
- 子育てに協力していることを認めてもらえないことへのやるせなさ(平日は2人の子供を保育園へ送り、病気の時は肩身狭く休暇・早退を繰り返して子供の世話をしていました。それくらいですが・・・)
- これ以上無理かも知れない。。と訴えても、「一人だけ逃げないで」、、「自分勝手」と言ってきた彼女の顔。
- 家族のことを必死になって守っていたのに、理解してもらえなかったこと(実は、この背景に私の神経質・心配症が隠れています・・・)
などが思い出される度に、
気持ちを落ち着けることができている「つもり」になっていても、
抑えようのない腹立たしさや、やるせなさが込み上げてきていました。
そして、どうしようもないときは、一人でノートに気持ちを書きなぐっていました。
でも、誰かに話したり、口に出したりすることは、何とかして必死に避けていました。
きっと、周りに話したら、多少なりとも共感してくれる、
そうすると、私が感じた「相手のひどいところ」を周りにも承認してもらえたような気になり、
自分の問題は忘れて、相手の悪いところばかり注目してしまうことになるかもしれない。。
そして、巷で推奨されている記憶術
「書いて、見て、口に出して、聞く」なんてことをしたら、
自己正当化 ⇒ 周囲からの承認 ⇒ 他人のせいにする ⇒ 自分は変わらない、
のサイクルから絶対に逃れられなくなるに違いない。。
自分のことを冷静に、しっかりと見直せるようになるまで、
「妻にひとこと言いたくなる心境」を封印することは、
ひとまず今日までは「心がけ」のおかげで守ることができています。
<自分を知るための「心がけ」>
- このブログを通して、気持ちを文章に書き出すこと(自分の気持ちの自覚)。
- 心の中に隠されていた気持ちを、オープンにしてしまうこと。
- そして、書いたことを定期的に声に出して読み返してみること。
- 家族問題・背景心理に関する本を読み漁って「まずは自分だけ」のことを振り返ること(子供が・・・妻が・・・なんてことは言わない!!考えない!!)
- 誰も掃除せず、荒れ放題だった部屋の中を整理整頓すること(←明らかに問題の種がありますね)。毎朝早く起きて、拭き掃除をすること。
- 毎日神棚に手を合わせて、自分を振り返ること(当初の自分との約束)。そして、妻と子供達がどこかで元気でいてくれることを願うこと。
- 今までのように、日付が変わるまで仕事をするようなことはしないこと(仕事は家庭、自分の時間、仕事・・・の中の一つに過ぎないことを理解する。一つに固執することで、他が壊されてしまったら意味がない)。
- 生活環境を、物理的にもオープンにすること(家にいるときは玄関を開ける、窓もカーテンも明け放つ、部屋のドアは閉めない、空気の通り道をつくる、明るい照明に変える)(←少しやりすぎですが、自分へのショック療法です。とても気が楽になりました)。
- そして、心理的にもオープンにすること(知らない人とでも、目的のない「ひとこと」を交わしてみること。魚売り場でいつも会うおばちゃんと一言、剣道の練習帰りのおじいちゃんと信号待ちに一言、同じマンションの人と階段で一言、、)
- やらなければいけないことは、さっさとやること(やった後に大きな問題がなさそうであれば、ひとまずやって、終わらせる。余計な雑念は残さない。)
- 現実からもう逃げない(気を紛らわすために、酒をがぶ飲みしない。ラーメンばかり食べない、揚げ物は食べない、定食屋のはしごをして心を満たそうとしない、野菜をとる。水分を摂る。一日に玄米1合。)
- もう一つ、よきアドバイザーを持つこと(「困ったとき」ではなく、定期的にカウンセリングをうけること。追い込まれた時には余裕がなくなって気付けない。)
=7/20追記=============
〈覚え〉
妻が出ていく前の「私の心境」について
~その時の気持ちを「なかったこと」にはできない~
妻が出ていく前の数週間、半年間ほどは、今までにないほど、生活が乱れていました。
(私や妻の生活環境が大きく変わったこともあったのだと思います)。
特に直近は、
私は家に帰って妻の顔を見ることが苦しくてたまらず、
いつもなら行かないスポーツクラブやカフェ、若者たちの騒ぐ深夜のファーストフード店、バス停のベンチなど、・・・
遅くまで時間を過ごして(一生懸命つぶして)帰宅していました。
そして、あまりにも苦しい時は、カプセルホテルに泊まって、
「がんばれ」と自分に言い聞かせ、元気になった気でいました。
家の玄関を入ると、家の匂い、人の気配だけで胸が苦しくてたまらない。。。
何かに逃避しなければ、もう耐えられない・・・・そして、毎日のようにボトルを開けていました。
そして、朝もできる限り顔を合わさないように、部屋にこもっていました。
近くに妻が来ると、相手がまた何を言ってくるのか、
そして、自分が何かしてしまうのではないかと、正直なところ恐ろしくてたまりませんでした。。。
自分と妻は、どちらがネコでどちらがネズミなのか、、、「窮鼠噛猫」という言葉が頭の中をずっと巡っていました。
「あなたは何かおかしいよ」「普通じゃないよ」「あなたの名字の画数はすごく悪いから」と度々私に話しかけ、
「自分は普通の人」と言い、追い打ちをかける言葉を投げかけられることに、本当に耐えられなくなっていました。
- 顔を合わせると、またダメ出しをされるのではないか。
- 仲の良い友人たちの家庭と比べられて(数人の友人たちのことを「みんな」と言っていつも比べていました)、「あんな普通の家のようになりたかった」「なぜうちは「普通の家」になれないのか」と言い続けられるのではないか
- そして、私の話なんてどうせ聞いてもらえないのではないか。彼女からは「あなたのこと、全然わからない。たぶん普通の人じゃないから、、」と否定され続けるのではないか。
- 彼女自身の考えは正しいと疑わず、どんなに私の気持ちや思いを話しても、聞いてすらもらえないのではないか。私の職場のことは、「普通じゃない、特別なできる人ばかりの集まり」(←そんなことはありません)だと言って、聞く耳すら持ってもらえないのではないか。。
- 家庭内で問題が起こったら、たとえ些細なことでも「うちには○○がないから」「○○があればできたのに」「○○にそう言われたから」「あなたが協力してくれないから」と、私や周りのせいにしてくるのではないか。。
- どんなに私の仕事の帰りが遅い日が続いても、妻は「私はすごくがんばっている」「私は仕事と子育てを両立している」「全然休めない」と言って、高圧的に、自分に対する気持ちを確認するかのように、手伝いを要求してくるのではないか。思い通りにならないと「○○さんの家のように、多少は父親らしくしたらどうか」とまたしつこく言われるのではないか。
- そして、私自身も彼女に対して怒鳴ったり、さらにエスカレートした行動をとってしまうのではないか。
私たち家族の置かれた状況が、本当に苦しくてたまりませんでした。
そして、心身ともに不健康でした。そして、その時はもう何も見えなくなってしまっていました。
まるでロボットのように、「何か」に追われるように、
毎日の「やらなければいけないこと」(仕事・子の世話・買い物・習い事への送迎など)を繰り返しているだけでした。
少し前までは、まだまだ余裕があったはずなのに・・・・
きっと、私が感じていたのと同じように、彼女もきっと苦しい思いをしていたはずです。
小さなきっかけから、二人の歯車が少しずつズレ始めたのだと思います。
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ですが、今回のことがあり、
色々なことを心がけて過ごすようになった現在では、
心も、体も(体重バランスも)、以前より健康的になりました。
そして、
当時はどうしようもなく感じていた妻への苛立ちや腹立たしさも、
最近は、それほど感じなくなってきたように思います。
ただ、「距離が離れているから」だけなのか、「同じ屋根の下でも大丈夫」なのかは、
自分勝手に勘違いしないように、冷静に見極めなければなりません。
もう一つ、、
私の心に大きく影響を与えた言葉。。。
「妻への苛立ちや腹立たしさも、それほど感じなくなった」心境に至ることができた「心理的なもう一つの大きなきっかけ」。。
- 私を不安にさせたカウンセラーさんの言葉(私が考えすぎて勝手に不安になっただけです)
- そしてあの(少しふてぶてしい?)警察官に言い捨てられた言葉
については、
今日一日考えてみて、改めてお話ししてみようと思います。。
今日もありがとうございました。
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