Yasukun-papa は「おひとりさま」

やすくんパパ の思いをつづる、Liveなブログ。。

トイレの中で腑に落ちた。”私だって・・・”と言いたくなる気持ちは忘れて『自分の加害性』だけに着目する。

 

一昨日からずっとモヤモヤ。。

変なサイトを、食い入るように見入ってしまった。。

  • 「相手からできるだけ多くのお金を取る方法」
  • 「○○すれば、有利に別れられる」
  • 「あなたは莫大な支払いを求められて、人生を棒に振る
  • 「○○は損だ」「○○すると得する」「○○すれば勝てる

もちろん、気持ちが分からないでもない(戦略を考えることは嫌いではない)。

ただ、よくある節操ないキャッチコピー。。

加害者である私が言うのもなんですが、生々しい表現に、少しウンザリします。

  • 「だから、早めに私たちのところに相談してください」
  • 「すぐに私たちのところにカウンセリングに来てほしい。」
  • 「今すぐ教材を買ってください」

ヒトの弱い部分。。。

『不安感』『恐怖感』『欲』に付け込んでくる。

 

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私たち家族は、あの日から一度も会っていません。

  • 毎日顔を合わせていた妻や子供の顔が見えないこと。
  • 声が聞こえないこと。
  • 今、一体どんなことを感じているのかすらわからないこと。

これから私たちはどうなるのだろうという、先の見えない不安感が押し寄せます。

 

そこに来て、不安感をあおるキャッチコピー。。。

「リスクの管理」について考える、いつもの癖も後押しして、

自然と ”最悪のシナリオ” に思いを巡らせてしまいます。

 

そして、仕事をしている時も、

  • 先が見えないことに対する不安感
  • 家族をこのような状況に追いやったことへの申し訳なさ
  • Webサイト中の不安感をあおる言葉

これらを思い出しながら、焦り、不審・不安感、眠気・眩暈を感じていました。

この感覚・・・このままではきっと病気になる・・焦りました。

今倒れても、誰も助けてくれない。何よりも、こんな時に倒れるわけにはいかない。。

(きっと倒れるときは無理せず倒れればいいのだろうけど、できればもう少し踏みとどまります・・)

 

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ただ、少しだけ立ち止まって

『ありのまま』の現実を見返してみると、出来事は意外と単純なようにも感じます。

自分の気持ちが暴走しているだけ。。

 

あまり良い状況ではないものの、まだ大きな動きは何も起きていません。

私たち家族のこれまでの状況を振り返ってみても、 

学生時代に妻と初めて出会った

▶▶彼女のことが大好きになった

▶▶やっと付き合えた

▶▶一緒にいることだけで嬉しくて楽しかった。喧嘩をしても仲直りできた。

▶▶長いこと付き合った末に、結婚した。そして、自分の望む職場に転職した。

▶▶また、嬉しかった良い家庭を作ろうと心に決めた。そして、家族のために必死になって働いた。

▶▶妻に依存された。理解できない行動に悩み続けた。

▶▶妻を守れないになってしまう事が恐かった

▶▶子供ができた。すごく嬉しくて、必ず子供を守り貫こうと思った。

▶▶家族を守れない父親になってしまうことが、恐かった

▶▶また必死になって働いた。何とか上手く回っていると思っていた。

▶▶頑張りすぎて、仕事に追い込まれた。家族がないがしろになった。

▶▶妻との言い合いが繰り返された。私の陰にはいつも「恐れ」があった。

▶▶そして、大切な家族が壊れた(私が「加害者」となり、家族を壊した)

▶▶妻と子供はいなくなった。。。

▶▶そして、今、自分にウソをつかず、自分自身を正面から振り返っいる。

という状況です。

 

心に居座る不安感を一旦忘れて、『ありのまま』の気持ちを見てみると、

  • 私は妻と子供たちのことが大切だったことは、間違いなさそう。
  • そして、過労死が頭をよぎりながらも「家族のため」に一生懸命働いた(口では「世のため」と言いつつ)。
  • 仕事では、子供に言えないようなズルいことはしていない(弱者に付け込むようなことは、避けてきた)。
  • ただ、家庭に対しては、次第に大きくなる「恐怖・不安感」に堪えられず、暴走した。そして、傷つけた。

こうして振り返ると、本末転倒だな、、と感じます。

 

「恐怖に振り回されることは危険」だと知っていたはずなのに、

私は、「恐怖の呪縛」に囚われていました。

守る対象が「大切な家族」だったため、余計に敏感になっていたのかもしれません。。。

 

そして、一昨日サイトを見た後にも「恐怖の呪縛」に囚われそうになっていました。

ただ今回は、守る対象が「自分」に変わっていました。。

 

まだ何も起こっていないにもかかわらず、

相手の姿が全く見えないことから、

自分の想像を膨らませ大切だった家族に対して、疑い・不信感を抱き、

もう少しで家族と戦うことを考えてしまうところでした。。

 

アブナイ、アブナイ。。

 

私は、目の前にある「不安感」「恐怖の呪縛」から逃れられなくなっていました。。

一方で、もう一人の冷静な私は、心の中で次第に大きくなる「私だって・・」「あなたが〇〇だったから・・」と言いくなる気持ち(被害者意識・他責感)を、何とかして抑え込もうとしていました。

「これを言って逃げたら、もう自分はおしまいだ。。」 と。

 

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 ”私だって・・・”と言いたくなる気持ちは忘れ、『自分の加害性』だけに着目する。

 

そんな折に、美奈子さんid:minaminakun)からコメントを頂きました。

「加害者であることを認めると、自分の被害者意識も薄らいでいく」と。

 

分かるようで、分からず。。

分かった」と認めれば、相手に負けたような気持ちにもなる。。。

ずっと心の中でひっかかり、考えていました。。

  

今日も、トイレの中で思い出していました。

そして、ふっ”と感じることができました。少し納得できる気がする。。。

  • 「加害者」がいるから「被害者」が存在する。そして、その逆も同じ。
  • 「被害性」(相手から受けた痛み)を意識すると、「何かをしてくる相手」に反応したくなる。
  • そして「被害者意識」は、自分の「加害性」を正当化する働きをする(自分が加害者であることを受入れる邪魔をする)。
  • 人は概して「加害性」よりも「被害性」を意識しやすい

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被害性(相手から受けた痛み)に意識を向けすぎると、決して良いことは起こらなさそうだ。

お互いに、ブレーキが利かなくなる。

 自分被害を意識モヤモヤ・腹立たしさ・自己防衛相手への加害(力・言葉・嫌悪・否定)

⇒ 相手「被害を意識 ⇒ モヤモヤ・腹立たしさ・自己防衛 ⇒ 相手への加害」

⇒ 自分・・・

その結果、悪いサイクル(関係悪化スパイラル)が動き始めるに違いない。

 

<心の中で感じたこと(腑に落ちた一番の理由)>

私は妻と子供たちのことが大切だったはずでした。

「すこし離れて暮らして、冷静になれる時間を持ちたい」と思ったことはあっても、

「傷つけたい」「追い詰めたい」と感じたことはありませんでした。

それにもかかわらず、

相手から受けた痛みに反応し、妻を傷付け追い詰めました。

 

これまで私が生きてきた中では、

ヒトから受けた「痛み」を、自分の中で問題なく処理することはできていました(仕事や友人との関係であれば。。。)。

 

ただ、これまで「痛み」を処理してきた中で、

「自分は加害者である」可能性について、積極的に意識しようとしたことは、ありませんでした。

 

「自分の加害性」だけに着目してみる。。

これまで意識したことのなかった考え方に、目から鱗でした。

 

今、自分が置かれている状況では、

  • 「妻を傷つけ、追い詰めた」ことに着目し、事実を認めてみる。。
  • そして、妻が感じた痛みに注目して、共感してみる※)

 (※)この時に「相手も同じことをやってほしい」なんてことは、間違っても期待しない。他人を「カエルコトハデキナイ」。「カエラレル」のは自分の行動や感じだけ

 

ついでに、自分の周りの人たちに対しても、「自分の加害性」を意識しながら接して、自分の気持ちがどう感じるのか、様子を見ようと思います。

  

トイレの中で、スッと腑に落ちた途端、とても心が軽くなりました。

もしかしたら、「相手のことを理解する」ためのヒントも隠されているかもしれません(でも、「理解できるはず」なんて勘違いはしない。)

 

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今回出会えた「自分の加害性」に着目するという考え方は、

学生時代に感じた「Love拡散の考え方」と、どこか重なるようにも感じています。

 自分や、自分の周りのすべてに対して、「Love」の気持ちを持てば、

まずは身近な人に伝わり、その人からまた隣の人に伝わる

 

さらに、「Love」の等心円が互いに重なり合って、

徐々に「Love」の連鎖反応が起こるのではないか。。。

 

積極的な「Love」のほうが良いのはもちろんだけど、

たとえ消極的な「Love」であっても、

その気持ちを持っているだけで、「Love」は広がって行く・・

⇒ 素直な良心を連鎖させることについて ~心の混沌を浄化する - Yasukun-papa は「おひとりさま」 

  

人は、周囲からから大切にされる こと(”Love” をもらう事)を心地よく感じ、相手からの ”Love” をもらいたい、と思う傾向があるように感じています。私もそうです。

そして、相手から”Love”をもらえないと「不満」「不信」を感じ、

そんな相手には「腹立たしさ」を感じてしまうこともあります。

 

ただ、この時に、少し勇気を出して、試しに一歩踏み出してみると、

生き方がずっと楽になるように思います。 

 <Love拡散の考え方不満から幸せへの転換方法)> 

  1. 「"Love"をもらえない事」に意識を向けて不満を持つことを止めてみる【与えてもらうことを強要しない。「相手から〇〇してもらえるはず」と思う気持ちは、周りに負担をかけていることを認める。】
  2. "Love"をもらいたいという欲求は忘れて、相手や周囲に対して見返りのない”Love” を振り撒き続ける【周囲に振り回されることなく、自分が良いと感じることをやり続ける】
  3. ”Love” を振り撒き続けたにも関わらず、誰も自分の頑張りを認めてくれなくても、不満は感じない。【評価してもらうことを強要しない。”Love” を振り撒き続けるのは自分のため】
  4. そうすれば、「"Love"をもらえない事」に対する不満は軽くなり、自分の幸せにつながる【与えてもらうことに固執していた気持ちから自立し、「人に振り回されない自分の幸せ」を手に入れることにつながる。満たされた自分を確立できる】
  5. 最終的には、周りのみんなが幸せになる。そして、心地よい環境に包まれる。【自分だけでなく、周りの人まで幸せになれる】

 周りの全ての人に対して、

見返りを求めず、評価も求めず、等心円状に「Love」を与え続けてみる

 

これは、自分が幸せになり、周囲も幸せになるための切り口だと感じていました。

そして、人の反応に振り回されない生き方も手に入れることができます。

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人が生きる上で大切なことは、実はよく似ているのかもしれません。

  • 「自分の加害性」を意識できること、認めること
  • 見返りを求めず、周囲に対して等心円状に”Love”(何か良いこと)をふりまけること

こんなことが少しずつ増えれば、

日頃の生活の中で、幸せを一杯感じられるようになりそうです。(※)

(※)自分の意識の中で、感じられるようになるということ。すぐに周りが変わってくれるわけではない。

 

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そして、今の自分ができること。。

まずは『自分の加害性』をしっかりと意識し、

自分の物事の捉え方の枠組み、そして自分自身の感じ方を変えてみようと思います。

 

上手く行かない部分に気付けば、前向きに見直せば、それでいい。

風当たりは強くても、飛び込んでしまえば、あとは泳ぎ続けるだけ。。

エキサイトブログのS.Shakunagaさんのページへのリンクです。迫力満点の写真です。)。

 

※忘れてはいけない事⇒⇒ ①もし上手くいかないと感じたら、よくよく見直すこと!固執しすぎないこと!②何かが起こりそうだったら、恥ずかしがらず、抱え込まず、大声で助けを求めること(これまでの自分は自分で抱え込んで頑張りすぎていた)。途中で少し苦しくなりそうな予感がする。。。

 

> 美奈子さま、ありがとうございました。目の前が少し明るくなりました。

トイレの神様ありがとう。これからも、しっかり掃除します。

> そして、大切な妻と子供達にも、ありがとう。こんな思いをさせてごめんなさい。

嫌なところはたくさん思いついてしまうけれど、

元の自分に引き戻されそうになることもあるけれど、あなた達のことを考えながら、途中で挫折することなく、自分から目を背けることなく、歩き続けています。少しずつ変われそうな気がしています。

 

 

皆さん、ありがとうございました。

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 やすくんパパのLiveブログ。