最近ずっと、自分の気持ちを文字にする気になれませんでした。
何か書こうと思うのだけれど、私の心の中の何かが、足を引っ張っているのです。
いやはや参りました。。
自分では意識はしていないのだけれど、
もしかしたら「誰かに向けて書いてみよう」という想いを持ちすぎてしまったのかもしれません。
「何か気の利いたことを書いてみよう」
「こんなこと言ったら、相手に何を思われるだろう」
私の昔からの悪い習慣「人の顔色を窺い始めた」のかもしれません。
そして、相手が望むことをするために、頑張ろうとしていたのかもしれません。
何かが「ふっ」と思い浮かぶことも、いつの間にかなくなりました。
「インプットしないからアウトプットできないんだ」などという言葉を真に受け、
ブログに「アウトプット」するために、どうすれば良いか考え始めていました(※)。
まるで仕事をしている時のように。。。
(※)自分の気持ちを綴ろうと思った私のブログに、このやり方はあまり馴染まないというだけです。
数週間前のような、自然な、湧いてくるような感情が見えない。。。
自然と感じる気持ち、感じた気持ちを表現したくなる衝動が、私の中で見えなくなっている。。。
思考と不安に押しつぶされそうになっている。。
私は、「自分の中の見えない何か」を恐れ、焦りを感じ始めていました。
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そんな中、久々の深夜残業と深夜バスでの帰宅。。
乗客は7人だけの、週明けの静かな車内。
窓からの隙間風と車体が軋む音が、後ろから聞こえてきます。
前を走る車をぼんやり眺め、少しウトウトしながら、静かに自分を感じていました。
- 仕事に没頭していると、自分の「不安な気持ち」が少し紛れたような気がする。。不安な状態を紛らわすために没頭することは、目の前の問題から目を背けることにも繋がりそうだから、注意しておこう。。。
- あるモノに対する依存が解消されると、無意識のうちに「依存できる別のモノ」を探し、依存対象を置き換える心理は、このような感覚なのかもしれない。。背景には「不安状態の回避」という心理が働いている。こうやって「依存」はモノを変えながら繰り返すのかもしれない。。(※)
- ブログを書き始めたときには、誰かに気に入られよう、気の利いたことを書こう、なんて気持ちは全くなくて、ただ純粋に、自分の気持ちをオープンにしようと思って書き始めたはずだったのに。。。一体、自分は何を気にし始めたのだろう。。
- 「なるようになる」「自然を感じながら、身を任せればいい」と言っていたのに、なぜ今の自分はこんなに戸惑っているんだろう。。。もしかしたら「何かをやらなければならない」と、昔のように意気込み始めているのかもしれない。。もしかしたら「自分の中の不安感」が次第に大きくなっているのかもしれない。そして、自分自身を追い込み、焦りを感じ始めたのかもしれない。。。
心と体の力を抜いて、ただシンプルに。。。
- 「もっとゆっくり、ゆったりとした気持ちで感じよう」
- 「自分の心が感じたことを信じて、進んでいこう」
- 「考えるのではなくて、自分が感じた気持ちに正直になろう」
- 「自分の『ありのまま』の正直な気持ちと向かい合うことが、気付きのきっかけになる」
忘れそうになっていた大切なことを思い出し、
前向きな、すがすがしさを感じた深夜2時、私はバスを降りました。
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●『ありのまま』を感じようとすること
『ありのまま』を感じることは、意外と難しいものです。主観が邪魔をします。
「目に見えるもの」であっても『ありのまま』を捉えることは大変なことだし、
「目に見えないもの(感情、考えていること、望んでいること)」であれば尚更です。
「自分の心の中」のことですら思い悩んでいるにもかかわらず、
更に知り得ない「他人の気持ち」を分かりたいと望むことは、「無謀な挑戦」であるようにも感じてしまいます。
それにもかかわらず、
「他人の気持ち」という「目に見えないモノ」を知りたいと願い、
見えないことに焦りを感じ、不安に感じ、不信感を抱いてしまう。。。
以前の私は、この不安感を埋め合わせるために、「きっとこの人は〇〇と考えているのだろう」と想像していました。
見えない部分を、私の勝手な主観で埋め合わせていたのです。
これは、私のためであったとしても、相手のためにはなりません。
そして、私の想像をもとに相手に接することは、
私の先入観を、無意識の中で相手に押し付け、相手を居心地悪くすることに繋がるように感じます。
さらに、相手の『ありのまま』を感じる邪魔もします。
「相手の『ありのまま』を、そのまま感じてみる(客観的に捉える)」
「感じた『ありのまま』に、勝手な修飾は付け加えない(主観を加えない)」
「自分が感じた『ありのまま』に謙虚さを持ち、違和感を感じたらすぐに修正する」
「『ありのまま』には、自分の気持ちの「投影」が含まれる可能性を意識する」
「一度感じた『ありのまま』に固執しない」
勝手な主観を加え、相手を分かったことにするのではなく、
目の前の状況や事実に基づいて『ありのまま』を感じたいと、改めて思いました(※)。
そうすれば、勝手な思い込みによる相手に対する感情(不信感、疑い、不安)は消え、押し付けがましくなる優越感も消え、目の前の「ありのまま」の相手と、まずは力を抜いて、自然に接することができるかもしれません。
『相手に対する先入観は捨て、まずは目の前の相手を自分の心で感じてみる。』
大人同士でも、大人と子供であっても、
お互いに尊重し、心地よい関係を前提とした人間関係を作る上で、大切なことかもしれないなと感じました。
(※)自分の捉え方(主観)を肯定するために、相手の「ありのまま」(客観)を捻じ曲げて捉えてしまう状況も考えられます。小学生の時から違和感を感じていましたが、色々な場面で出くわします。本人が気付いていないことも多い。怖いことです。(⇒ http://www.yasukun-papa.com/entry/2017/07/17/090713 )
そして、自分のことについても『ありのまま』を感じてみる。。
余計なことは考えずに、余計な心配はせずに、目を背けずに、
自分の『ありのまま』の正直な気持ちを感じ、向かい合っていこうと思います。
(何度も言っている気がしますが、心配や不安を感じると、つい動揺してしまいます。再宣言です。。)
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余計なことに、振り回されずに。。。
自分ができることを、ゆっくり、着実に。。
そして、感じたり思ったことは、今まで通り、気持ちを淡々と文字にしていく。
何を言われても、しょうがない。これが自分の「ありのまま」なだから。
今日もありがとうございました。
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