① 『直面している問題に対する解決策が見つかったなら、原因や理由について、いつまでもウジウジと考えなくても良い』という考え方がある。
そして、
② 『魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ』という格言もある(らしい(※))。
(※)↓ のサイトは少し面白い。素朴な質問にも、ちゃんと調査して回答されている。このサイトによると、どうやら出所はハッキリしないようだ。。
「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」という格言は、中国(老子)起源説や、ユダヤ、東南アジア、アフリカ起源など諸説あると聞いたが、出典が知りたい。」(⇒レファレンス協同データベース)
①の考え方は、
「ひとまず解決策が見つかったら、いつまでも悩まず、行動に移してみよう。」
ということを、言っているのだろう。 この考え方に、私はさほど違和感を感じない。
「弱気な自分」(自分の正直な心)が、この考え方に小さな引っ掛かりを感じてしまうとすれば、、
✔「解決策が見つかったなら」・・・
⇒ 「思いついたものが本当に解決策といえるのか?」と心配になる。
✔「いつまでもウジウジと考えない」・・・
⇒ 「そう言われても、思いついた方法が裏目に出るかもしれない」と心配になる。
きっと、こんなところだろう。
妻は子供たちを連れて、1月前に突然家を出ていきました。
これまでの私であれば、、
・『ひとまず何か思い付いて、そのやり方にそれほど悪いことがなさそうであれば、いつまでも悩まず、さっさと終わらせてしまえ!!』
・『上手くいかなければ、その時に考えればいいだけ。』
・『上手くいかなさそうだったら、必ず人より先に気付いて、すぐに仕切り直せ!』
ということを自分に向って叫び、発破をかけ、「勢い」で目の前のことを処理してきました。
そして、仕事や自分の問題については、ぼちぼち上手くやってきたつもりでした。
ただ、「家族の問題」を解決しようと考えた途端に、
この「勢い」は、間違いなく厄介な問題を引き起こすように感じています。
もしかしたら、
小さな引っ掛かりを感じている「弱気な自分」(自分の正直な心)も、
「勢い」で物事を進められることは好きではないかもしれない。
今回は、「弱気な自分」に声をかけよう(※)と思います。
(※)「他人を理解する」ことはできないことに気付かされました。「相手はきっと〇〇と思うだろう」と考えることは、しばらく止めようと思います。自分のエゴ、親切心の押し付けに繋がるかもしれません。「あなたのことを考えて・・・」なんて言われても、見当違いであれば迷惑なだけ。今回は「自分自身」に声を掛けようと思います。(⇒『相手のことを理解したい』と感じる気持ちから、少し離れてみる ~自分の考え方を振り返る)
1. 「ウジウジ」を乗り越える。乗り越えられなければ、無理せずやめる。
「解決策」が見つかった後の「ウジウジ」であれば、残るは気持ちの問題だけだろう。
もし、「直面している問題」を解決したいのであれば、きっと行動できるはず。
① まずは、行動することを習慣化しようとしてみる。(ゆっくり、確実に。。)
② できない言い訳を探さない。(勇気が出せない自分に、大丈夫だよと言ってみる)
③ そして、それでもできないのなら、キッパリと止めてしまう。(胸を張って退場する)
つまり、
- ・精一杯考えて、答えのようなものを一つだけ見つけられたなら、考えることはやめて、慎重に、少しずつ手を付けてみる。
- ・答えのようなものを何個も見つけられたなら「その中で一番いいもの」を選ぶだけ。一つに絞れなければ、直感を信じて、一番最初に思いついたものを選べばよい。もし、選んだやり方が上手く行かなければ、後で必ず直感を補正しておく。何度か繰り返すことで、直感は次第に鋭くなる。
- ・上手い人のやり方を真似ることにしたのなら、その人と比べて自分が不得意な部分に気付いておく。それを意識しながら、慎重に、少しずつ進めばよい。
- ・石橋を渡ったくらいじゃ何も起こらない。そして、一度叩いた石橋は、決めた時間になったら必ず渡る。
- ・夏の風物詩・・・吉田川に架かる新橋の欄干(※)から、3秒数えて飛び込んでみる。3回やれば慣れてくる。村の子供たちなんかに負けない。。欄干に立った自分を想像して、飛び込むだけ。妄想で飛び込んでも良い。そうすれば、体が真っ赤になることもない。
-
・それでも、「いつまでもウジウジ」しているなら「自分は解決したいという気持ちになれていない」ことを自覚する。そして、考えることも、行動することも、やめればよい(勇気を持って、自分の心に正直になる。悪いことでもない)。
(※)岐阜県郡上八幡市の新橋からの飛び込みは、夏の風物詩。そして、昔からの子供達の度胸試し。。一見怖そうに見えるけれど、一度やってみれば大したことはありません。痛くない飛び込み方を考えるようになります(エキサイトブログのS.Shakunagaさんのページへのリンクです。迫力満点の写真です。)。
2. どのようにして解決策を見つけ、選択すればよいのか?
こちらは、私もよく悩んでいる。
まずは、 解決策が思いつくとき。。
「定番の解決策」「突然思いついた解決策」「上手く行けば面白そうな解決策(←大抵は裏目に)」・・・思い付くだけなら、色々な策がでてきます。
⇒ 解決できそうな問題しか起こらないようであれば、どの選択肢を選んでも大丈夫。直感を鍛えたいなら、直感的に思いついたやり方(私の場合は、初めに思いついたもの)を選んでしまうことでもよいだろう。
私は、どうしても失敗したくないとき(そして疲れているとき)以外は、
周囲にもっともらしい説明をして、「面白そうな解決策」を選んでいました。
結局は「定番の解決策」で後処理をする(させられる)ことも多々。。。多くは裏目に出てばかりでしたが、これも意外におもしろいものです。。そして、結局は何とかなります。
つまり、選ぶ段階で想定される「悪いこと」をフォローアップできるのであれば、「何を選んでもよい」んじゃないかな、、と思っています。
次に、 解決策が全く思いつかないとき。。
これは少々厄介です。
考える土壌(知識・経験)がない、そもそも考えるというスキルを持っていない、何かに憑りつかれている、実際は解決したいとは思っていない、、、色々な原因が考えられます。
自分自身が抱えている問題は、一体どれに当てはまるのか。
機会を見つけて、しっかり振り返っておいたほうが良いように思います。
<問題の解決策が思いつかないときの原因として考えられること>
- 解決しようと思う問題について、考えることができるだけの土壌が自分の中にない。
- 土壌はあっても、自分のものになっていない(咀嚼できていない、自分の経験と融合できていない)。
- 抽象的な考えに終始しており、具体的な結論を出せない(何となく考えたつもりになっているだけ)。
- 思考に一貫性がないため、同じことばかり考えて先に進めない(論理的に考えているつもりでも、思考の中で整理しきれていない・・・見える化が必要)。
- 「問題認識⇒解決策」という目的とは関係のない、感情の暴走に邪魔されている(腹が立って考えることすらできない、あんな人のために何か考えるなんて我慢できない等。悪いものに憑りつかれている状態。)。
- 「困っている自分」と「何かを考えている自分自身」を意識しているだけで、実は何もしていない(自分自身でも、何を考えているかすらわかっていない。または、考えてすらいない。自分の状況を冷静に見ることができない)。
- 本当は解決したいとは思っていない(自分で意識していない場合もある)。
ただ、どうしても答えを急ぐのであれば、、、
人に助言を求めつつ、誰かが「実際にやったやり方」をコピーしてしまえば良いと思います。
ただ、助言を求めるだけだと、危険なことがあるので注意が必要です。
利害が背景にあるとき(たとえ同じチームであっても、個人的な損得勘定への注意が必要)、嫌な思いをしたことは多々あります。
自分の考えを持たない状況で相談することは、大きなリスクを負うことを、肝に銘じておく必要があります。
3. 解決するための行動後に気を付けたい、大切なこと
解決策を見つけ、行動に踏み出すことができたなら、大きな一歩だと思います。
一歩を踏み出しさえすれば、多くの問題は解決します。
ただ、ここで「弱気な自分」(自分の正直な心)が、また何かを言っています。。。
「カイケツ デキタコトニ シテイナイカ?」
「カイケツサクハ ホントウニ モンダイノ カイケツサクニ ナッテイタノカ?」
上手く解決できると、人は自信を持ちます。とても良いことです。
そして、無事に問題を乗り越えると、安心するはずです。
ただ、
特に、家族関係や、親密な人同士のように、感情的な事情が背景にある場合は、
目の前にある喫緊の問題を一旦解決した後でも構わないので、
「原因や理由」をしっかり振り返っておいたほうが良いと感じています。
<目前の問題をひとまず解決。でも、その方法は本当に正しかったのか?>
- 自分が大きな我慢をすることで、得られた結果ではないか?
- 同じことが何度も繰り返された時、いつまでも同じ方法で対応できるか?
- 自分の我慢で成り立つ解決策である場合、自分はいつまで我慢できそうか?
- 我慢することで、つぶれてしまわないか?爆発してしまわないか?自身に大きな無理をさせていないか?
<問題の原因を振り返り、同じような問題が再発しない心がけをしているか?>
- 目前の問題を解決できたことで、満足していないか。
- 問題の原因が解決されていなければ、同じことがまた起こるかもしれない。
- 次に同じ状況が起こりそうになったら、自分はどのような対応ができるのか?
- 相手は、問題を再発させないために、喜んで協力してくれそうか?
- それとも、相手自身は何もしないことを望んでいないか?、周りが変わることだけを望んでいないかか?
- 「同じことは起こらない」「考えても無駄」と思うことで、「原因や理由」を考える面倒な作業から目を背けようとしているのではないか?(私も逃げ出したくなることはある。。。)
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大きな問題に直面しているとき、周囲の人は慰めてくれます。
- 「人は辛いことを乗り越えて、強くなっていくもの。」
- 「神様は、乗り越えられない苦しみなんて、与えないから」
- 「嫌なことがあっても、時間が解決してくれる。時間が経てば、忘れるよ。」
- 「自分も同じような目にあった。辛いよね。。」
- 「あなたなら、きっと大丈夫。」
そして、
喫緊の問題を無事に乗り越えられたとき、周りの人は労ってくれます。
- 「一度乗り越えられたのだから、次に同じようなことがあっても大丈夫だよ。」
- 「あなたは、他の人より、良く考えているほう。頑張ってるとおもうよ。」
よく考えれば正しいこともあるけれど(正論もあるけれど)、
周囲からの心地よい言葉は、一時的な共感/慰めの言葉であることがほとんどです。
そのような言葉をかけられたときの自分の気持ちを、冷静に感じてみる。。
・・・嬉しいのか、安心感なのか、満足感なのか。それとも不快に感じるのか。
もし、事情をさほど知らない他人から
「心地よい言葉」をかけられたのなら、きっと「違和感」を感じておいたほうが良い。
そして、
共感してもらえたことに安心感を覚える自分に気付いたのなら、
優しい言葉や、認めてくれる相手を、待ち焦がれていたことに、気付ける余裕が欲しい。
その時の自分は、現実を冷静に受け入れることなんてできない。
「ありのまま」を受け入れることを拒む気持ちがあるはずだ。
「共感してもらえたことに安心感を覚える自分」は、
「原因や理由」をしっかり振り返りたいとは思わないだろう。
そして、問題の原因が解決されないまま時間が経てば、同じことが繰り返される。
「二度あることは三度ある」
「三度目の正直」・・・
もちろん、一度起こったことは、何もしないままだと、きっと二度目が起こる。
『魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ』
解決という「結果」を得たことで満足するのではなく、
結果がすでに得られていたとしても、「解決の仕方」は適当だったか、再度振り返ってみる。。
そして、
『魚を釣れたとしても、釣り方をもう一度見返してみる』
『魚が釣れたことを以て、釣り方を知っているとは限らない』
自分で魚が釣れるようになっても、釣る方法をもう一度見返してみる。
そして、幸運が重なって釣れたわけではないことを、確認しておく。
同じような問題が繰り返されやすい状況、特に家族問題では、
『原因や理由』について、しっかり掘り下げておくことも必要かな、と思いました。
そして、この作業は、
相手をより理解していく上でも有効であるように感じています。
仕事や、自分だけで完結する問題であれば、
ここまでする必要はないと思うのですけどね。。
家族関係は難しい、、、
「外の世界の経験なんて、家庭内ではほとんど通用しない。」
これでいいのか、
ここまでメンドクサクテいいのか、、多少の不安はありますが、
ひとまずこの考え方でやってみて、間違ってそうだったら、さっさと仕切り直そう!
気軽な気持ちでやっていこうと思います。
今日もありがとうございました。
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