週末は、神棚をいただきに、いつもの八幡様に参拝してきました。
実家にいた頃は、毎日のように、
先祖の仏壇や神棚に、手を合わせていましたが、
実家を出て下宿を始めてからは、
全くというほど、そんな機会はありませんでした。
「困ったときの神頼み」という言葉もありますが、
何かを叶えてほしい、、なんて気持ちは全然なくて、
ただ、自分が何を望んでいるのか、どんな自分になりたいのか、
そして、その日やらかしたことの反省・・・
そんなことを振り返りながら、
誰もいない静かな部屋の端で、ボソボソ呟きながら、
手を合わせていたように思います。
今考えると、
心を落ち着かせて、
自分のことを見返すための「きっかけ作り」になっていたんだろうな、と思います。
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一方、最近はというと、、
仕事、家庭、子供の世話、夫婦のこと・・・
自分の心の中は、
日頃の色々な気持ちが、
上手く整理できないまま、渦巻いていました。
そして、
それらの多くは、さほど重要ではない、目先のことばかりでした。
休日の掃除のこと、今日やること、習い事はどちらが連れて行くか、
買い物で何を買わなきゃいけないか、
どこの店に行くか、どの道を通れば渋滞なく帰れるか、、、
こんな目先のことだけで、
心が一杯になって、苦しくなってしまうのは、残念なことだと思います。。
「日頃のことで、心の中がもう一杯・・」という状況から、少し離れてみる。
いつもとは見方を変えて、少しだけ広い目で、
状況を見返してみる必要があったように思います。
今回、
突然家族がいなくなってしまったことについても、
自分や家族がおかれている状況、自分の行動や考え方について、
ご先祖や神棚に「手を合わせる」という機会を作って、
定期的に見返すことができていれば、
こんなことになる「もっと手前の段階」で、歯止めが利いていたようにも思います。
ご先祖や、神様に毎日手を合わせることは、
すごく大切なことだと、小さい頃から教えられてきたのに、
少し前の自分は、その大切さをすっかり忘れていました。
そんな小さな、1日1分の機会を設けることが、自分を冷静にさせ、
「関係悪化のスパイラル」を回避できていたのではないかと思います。
もっと早く気付けていれば、
家族が壊れてしまうという、悲しい結果にまでは至らなかったように思います。
この大切さを忘れていたこと、悔やまれてなりません。
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日頃の喧騒から一旦離れて、
少し冷静になることができる機会を、
大変かもしれないけど、強いて 設けてみる。
それは、とても大切なことなのだと思います。
1日に1回、ほんの1分だけで良いので、
タイミングと、場所を決めて、少しだけ広い目で状況を見返してみる。
自分が本当に大切だと、神聖だと思える対象、
たとえ、それがなんであっても、関係ありません。
そういう対象をひとつ作って、
その対象と向かい合ったときに、
自分の気持ちを、もう一度見返してみる。
そして、
日頃腹を立てていること、どうしても許せないこと、、
そんなことを一回忘れて、
自分として、
本当はどうなりたかったのか、どうしたかったのか、
あの時、本当ならどう行動すればよかったのか、
そして、次からは何に気をつけて考え、行動して行くか、、、
一度落ち着いて、
自分の気持ちを今一度見返してみる大切さを、
家族が突然いなくなってしまったことで、ひしひしと感じました。
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皆さんが幸せな毎日を送っているのなら、
・ 1日に1回、ほんの1分だけ、
・ タイミングと、場所を決めて、
・ 「日頃のことで、心が一杯」という状況から、少し離れてみる。
・ そして、少し広い目で、自分自身の気持ちを見返してみる。
ためしに、やってみてください。。
日頃見えなくなっていた、自分の本当の気持ちや、
正直な気持ちに気付くことができると思います。
そして、その気持ちに気付くと、
きっと、今より少し幸せになることができるように思います。
そして、
本当に困っていたら、躊躇せず、他人の助けも借りてみてくださいね。
心の悩み、生活上の問題も聞いてくれる「日常生活相談ダイヤル」に電話してみるのも、お勧めですよ(保険に付帯されていることも多いようです)。
やすくんパパ