最近、「仕事でやり取りをしているある会社の女性」からカラマレテいる。。。
と言ってみたものの、
彼女には、そんなつもりなど、更々ないと思う。
カラマレテいる・・・。
おそらくは「私の思い込み」であることに間違いない。
彼女は、あるプロジェクトで出会った、利害が対立する相手方の担当者である。
かれこれ1年近く、同じプロジェクトでやり取りをしている。
私より一回り上のビジネスウーマン。
シニアマネージャーという肩書と、
さりげなく仕事ができる雰囲気を醸し出した、きっとデキる女性である。
今までも毎日のように、利害が対立する相手と、仕事をしてきた。
ただ、今回だけは、どうもウマが合わない。そして、話も上手く噛み合わない。
私の職場は「ほとんど全てのことをロジックで進める」ような雰囲気が漂っている。
もちろん、社員間で色々な感情は日々飛び交っているものの、
最終的に「論理的に筋を通す」結果さえ出していれば、
仕事の中で感情面が後に引くことは、ほとんどない(ハズ・・)。
数分前の打ち合わせでは、意見がぶつかって「一触即発」だった二人が、
今は雑談をしながら、昼食を共にしている。。。そんな雰囲気である。
ただ、今回の女性は、どうも今までとは勝手がちがうようなのだ。
例えば、私が、
「提出された資料の〇〇の部分は、〇〇で事実と異なっているから、〇〇に変更してほしい。」と伝えたとする。
これに対し、彼女は、
「無理をして作ったのに、そのような指摘を受けるのは心外だ」
「私としてはそのような指摘のされ方は承服できかねる。本当に驚いている。」
「先日は記憶で答えてしまったが、社内でしっかり見直したところ、事実関係の認識に誤解があることに気付けた。今回の資料は正しい結論に修正できているので、安心してほしい。」
「指摘があるのなら、文書の形で示してほしい。」
「そもそも、私は指摘を持ち帰って検討し直す必要なんて無いと思っている。」
かみ合うような、かみ合っていないような・・・
感情が先立つやり取り に対応しながら、
1時間を下らない彼女との長電話を、毎日のように繰り返していました。
彼女も利害関係者との矢面に立たされて大変なのだろうが、
「”独特な”主張をする彼女」、
「相手の気持ちに多少共感してしまう自分」そして
「強硬な自分の上司」の間に挟まれ、
私自身も、簡単に引くことができず、困っていました。。
彼女から電話があるたびに、
また持久戦だな、、と半ばあきらめの気持ちを感じながら、
いつも「粘り勝ち」で勝つ、という言葉がチラ付いていまいた。
10分もかからない内容にもかかわらず、なぜ1時間も必要なのか。。
心の中は、モヤモヤした感情で一杯でした。。。
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このような状況を見かねた「強硬な自分の上司」からは、
「無駄な時間を使うな!」
「他にもやることあるだろ!」との怒りの言葉と共に、
ありがたい言葉をもらいました。
「長引きそうなら、さっさと電話を切れ!」
分かったような、分からないような、、
至極当たり前のことで、
疑義をはさむ余地すらないような、
まさに本質を突くような言葉です。
ただ、どうすれば上手くできるのか、よくわからない。。。
少しこじつけのような気もするけれど、
ひとまず、
今回の「妻子の家出事件」の後に心に決めた
「妻に(人に)ひとこと言いたくなる気持ちは持たない」
「原因を人に求めない」
「自分の感じ方や行動であればカエラレル」の原則に基づいて、
- 「”独特な”主張をする彼女」の問題に焦点を当てて、こちらの主張や要求(感情的にならず落ち着いてほしい、論点を明確にして話をしてほしい)を伝えるのではなく
- 「強硬な自分の上司」の(疑義をはさむ余地すらない)指摘を聞かなかったことにするのでもなく
- 「相手の気持ちに多少共感してしまう自分」に対して、何か働きかけてみることにしました。
今回、相手と長電話になってしまう原因・・・
これまでの「仕事の経験」の観点から判断すると、今回の状況が変であること、、つまり、
「今回が少しおかしいだけ」
「今回の担当者に何か問題がある」
という結論に、違和感なく至ってしまうように思います。
でも、そんなことを言っていても、
相手への不平・不満がたまるだけなので、意味がない(“感情の墓場”から出られなくなる)。
ひとまず、今の私が気付いている自分側の問題。。。
「相手の気持ちに多少共感してしまう」ことを、変えてみることにしました。
もちろん、
今回目指す「さっさと電話を切る」ための別の方法として、
- 相手を黙らせる(相手を追い込む/勝つ)ための心理的な戦略を用いる(・・・小学生のころから、こんなことばかり考えていました。学生になり兵法書に触れたとき、今まで何となく考えていたことが文章化化されたことに、大きな嫌悪感を感じました。)
ことも選択肢としてあることは、知っています。
相手との「長電話」の中で、先方の痛いところも何となく見えていました。
ただ、今の自分は、これを使ってはいけない気がする・・・
避けていた自分に後戻りする気がする・・・そんな気がしました。
今回はシンプルに、
「担当者レベルで同じような話を続けても、きっと答えは出ない」
「もう一度持ち帰って、社内でよく考え直してほしい」
「納得がいかないのであれば、責任者を連れて、直接話に来ていただいて構わない」
と宣言して、時間が来たら電話を切ることにしました。
このありきたりな方法、今のところは上手くいっています。
ただ、彼女からの反応はこれからどうなることやら。。少し楽しみです。
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これまでの自分は、
小学校時代の経験も手伝って、周りのの様子を伺うことが習慣化していました(戦う前に、相手を知る)。
周囲に対して、ものすごく気を使っていたのかもしれません。
自分が傷つかないように、なのか、
自分が人を傷つけてしまわないように、なのか・・・
きっと両方だと思います。
そして、以前の自分であれば、
自分の考えを主張する前に、
- 「相手はどう思うか」
- 「この集団のどれ程の人が自分に共感し、誰が反論してきそうなのか」
- 「反論される場合、どのような観点から反論を受けるか」等々、
いつも事前に想定していました。
ただ、この習慣化されたサイクルを回すと、
自然と相手の様子を伺い、
相手と人との会話、直面した状況への対応の仕方、その時の発言、感情の現れ方などから、
その人のプロファイルが私の中で少しづつ確立していくことになります。
そして、プロファイルを知ったうえで相手と接すると、多くの場合、上手く行きました(思い通りになりました)。
しかし、結果的に相手につ付け込み、 自分が優位に立つことになるため、
罪悪感も残り、後味が良いものではありません。
今回の「相手の気持ちに多少共感」しようとしていた対応も、
できれば、相手に付け込むことは避けたい、という思いから生まれていたのかもしれません(つけ込むことへの反動)。
ただ今回、
今までの「つけ込んで解決」「共感する」とは異なる「第三の新しい方法」、、
・「自分の言いたいことは言って、強行に切り上げる」(問題ある場面から離れる)
・「どうしても気が済まないのであれば、改めて対策を考える」(場面の転換)
という方法にも、実感と共に気付けた気がします。
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ただ、
仕事上の話であれば、問題なく解決できることであっても、
それが家庭に移った時にはどうなるか。。
それぞれの人生の中で作り上げられた願望や、理想も入ってきて、
問題解決はさらに複雑となるように思います。
(もし、家庭内に「共依存」の感情を持ち込まれると、家族はそこから容易には逃れられません。誰かが声を上げて外向きの行動を起こさない限り、気付かないうちに感染症のように全体が感化されていくでしょう。。⇒ http://www.yasukun-papa.com/entry/2017/07/10/235101 )
ただ、私自身の中で「仕事と家族の違い」が生まれる背景については、
「一体性の誤解」(自分と家族を密な共同体と誤認すること、同一視してしまうこと)が背景にあるように感じています(<自分を変えるための8つのステップ>【第七段階】)。
【第七段階】でもう一度よく考えてみたいと思います。。。
今日もありがとうございました。
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