先日の投稿では、
<自分を変えるための8つのステップ>の【第三段階】として、
「現在の自分の考えに至った背景を知ること、過去を振り返ること」を挙げました。
今回は、
小学生の私が「自分よりも弱い人間に付け込むことは、絶対にしない」、、、
と心に決めた思いを、更に強く実感することになった、
学生時代のアルバイトで感じたことについて文章化してみようと思います。
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学生時代、周りの友人たちの多くは、
家庭教師、塾や個別指導の講師などのアルバイトをしていました。
ただ、お金に困っていた私は、「短期間にできるだけたくさん稼ぐ」をモットーに、
学生にもできて、中途半端に休日が入らず、短期間集中型で、しっかり稼ぐことができる仕事を、探していました。
何よりも「最終的にいくら稼げるか」ということが重要でした。
何の経験もない学生が「短期間にできるだけたくさん稼ぐ」ために選べる仕事・・・
選択肢には“3K” とされる仕事しかありませんでした。
そして、長期休暇に入るたびに、ほとんど休みは取らずに、労働に明け暮れていました。
- 賃貸住宅の害虫駆除
- イベント設営などのスポット派遣の下請け(孫請け)
- 中距離トラックのドライバー
- 引っ越しの作業員
当時は、体力的なきつさは、それほど苦にはなりませんでした。
ただ、それまで生ぬるい世界の中で守られてきた自分にとって、
「賃貸住宅の害虫駆除」「スポット派遣の下請け(孫請け)」での経験は、
これまで生きてきた世界とは全く異なるモノとして、私に大きな衝撃を与えることになりました。
<どんな仕事だったのか>
1. 賃貸住宅の害虫駆除
- 不動産仲介会社から委託を受けた賃貸住宅清掃会社の下請け、孫請け会社。
- 仲介会社から提示された入居予定リストに従い、賃貸契約者の入居前に住居内の清掃、ゴキブリ・ネズミなどの駆除を行う。
- 殺虫剤入りの薬剤噴霧の機械、破れた防護マスク、発電機(電気開通前の住居用)を車に積んで、仲介業者の店舗と賃貸住居間を往復。1日10~15件が精一杯。
- 朝6時出勤、終業は20時。
- 日給は基本給3000円+歩合給(1件300円)。1日当たり8000円いかない。
- 給与支払いは1週単位で指定された時間に手渡し。1か月経つとなぜか給与は没収される・・・みんな何も言わずに泣き寝入り。
2. スポット派遣の下請け(孫請け)
- イベント会場の設営を、主に深夜に行う。デパートの催事場(物産展など)や、屋内ドームで行われるイベントの設営補助作業。
- 催事場(多くは7階以上・・)とトラック間を、コンパネを数枚担いで、階段で往復。無心になって、明け方まで運び続ける。
- 立場の強さは、デパートの社員さん>元請けの社員さん>>職人さん>>>派遣会社のリーダー>>派遣会社直接採用のバイト>孫請けのバイト(←私はここ)
- 孫請けのバイトは、何があってもデパートや元請けの社員さんと直接話してはダメというルールがある。雲の上の偉い人だと思わなければならない。
- 深夜の勤務明けであっても、「次の仕事が欲しいなら入れ」「もう仕事やらんぞ」との言葉と共に、日中の派遣作業を入れられる。
- 1回6000~8000円。給与は事務所で手渡し。
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給与を受け取る時には、大声で自分の番号と名前を伝え、まるで賞をもらうかのように、ありがたく給与を受け取らなければならない。
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その時、社員さんの機嫌が悪いと、「声が小さい!」と怒鳴りつけられ、気が済むまで何度でもやり直しをさせられる。誰かが涙を見せると、周りの人を集めて見世物にする。。
<仕事をして感じたこと>
「賃貸住宅の害虫駆除」「スポット派遣の下請け(孫請け)」の仕事は、
本当に異様な環境でした。
労働者より優位である会社側(雇用者)が、
労働者を心理的に威圧し、給与支払いを盾にして思い通りに動かそうとする。
そして、思い通りにならない者を見世物にすることにより、
周囲に恐怖心を与え、周囲も含めて会社側の意のままにコントロールしようとする。
更に、意に沿って行動した者には、
「ねぎらいの言葉」と共に「アメ」(給与)を与える(給与支払いは当然の義務にもかかわらず!)。
また、「孫請けのバイト」が社員さんに話しかけてはいけないというルールも、
「絶対的地位の固定化(カースト)」の意識付けにつながりかねない、
おかしな決まりだと思っていました。
そして、社員さんだけではなく、
「孫請けのバイト」の先輩からも「話かけてはいけない」ことを強く念押しされたことについては、
「会社側の意向に沿った悪いサイクル」が自発的に動きだしていることに、
違和感を感じつつも、一歩離れて興味深くも感じていたことを記憶しています。
「取りに来ない給与は没収される」ルールについても、誰も疑義を唱えないことが不思議でした。
「内部だけのルール」しか見えなくなっている、または
ルールを守らないと危険な目にあうことから「盲目的に受け入れていた(受け入れざるを得なかった)」のかもしれません。
このような理不尽な目にあっている職場の仲間たちに対して、
本当に何とも言えない気持ちになりました。
そして、会社のやり方の汚さは、叫びたくなるほどの怒りとして私の心の中に残ることになりました。
「 強い者は、決して弱い者に付け込んではならない。」
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雇用者と労働者という関係性の中で、
相対的弱者である「労働者」に対して、雇用者の身勝手な理論を振りかざすこと、、
これは、優位に立った者から弱い立場の者に対する一方的な抑圧、
「力関係の非対称性」に基づく「弱いものいじめ」だと感じています。
更に、「誤ったルール」であっても、優位に立った者から強く主張されると、
「力関係の非対称性」に基づき、相対的弱者は受け入れざるを得なくなる可能性がある。
そして、書いていると、
なにやら家庭内の問題と重なるところがあるようにも感じてきました(想定外です)。
(力関係の非対称性による問題、閉鎖環境であることの問題、ルールで拘束されることによる問題。)
この点は、<自分を変えるための8つのステップ>の【第七段階】
「DVとはなにか、ということについて、一般論の刷り直しではなく、もう一度よく自分で理解すること」
の中で考えるポイントにしようと思います。
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小中学生のころ読んでいた、ある本のことを思い出しました。
場面は戦前なので、古い考え方も多く含まれていますが、
目先の損得勘定や、勝ち負けとは一線を画した素朴な観点から、
「みんなが幸せに生きるとは何か」「正しいこととは何か」について
「コペル君」と「おじさん」が一緒になって考える、
最近のビジネス本とは一線を画した、心が洗われる内容です。。。
久々に本棚を探って、読み返してみようと思います。
身分制度について引っ掛かる表現もあるかもしれませんが、
表現の是非は別として「自分と相手は違う」ことを前提として、話が進んで行ったように記憶しています。
違いを認めることから、優しさは生まれる。。。
今までとは別の見方にも、気付けた気がしました。
今日もありがとうございました。
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